「実話」ジャーニーのボーカリスト アーネル・ピネダのサクセスストーリーが映画化!
ロックバンド ジャーニーのボーカル
アーネル・ピネダのサクセスストーリー
本記事は、1980年代ハードロックを愛し、その中でもジャーニーをこよなく愛する著者が、ジャーニーについてあまり知らない方でも映画が完成して鑑賞される前後で豆知識として参考にして頂ければと思い書きますので、最後まで読んで頂けると幸いです。
2018年後半に公開された映画、クイーンを題材にした「ボヘミアン・ラブソティー」が世界中で大ヒットを記録した事は周知のとおりだと思います。
本作はボーカルのフレディー・マーキュリーのAIDで亡くなるまでを描いたストーリーとなっていました。
バンド結成からフレディーの死までを描く本作では、俳優自ら楽器を演奏して臨場感を極限まで作り上げられた素晴らしい映画だったと思います。
次のロックバンドを題材にした映画は、ジャーニーの現ボーカリスト、アーネル・ピネダのサクセスストーリーだ!
2013年に「ドント・ストップ・ビリーヴィン」(曲名タイトルと同じ)と言うタイトルで、アーネル・ピネダがジャーニーの正式メンバーになるまでのドキュメンタリー映画として日本でも公開されました。
当時、この映画を見たとき感動して涙した事を覚えています。
このスーパーロックバンド、ジャーニーを題材にした映画の製作が進行している事が2018年12月に発表されました。
俳優陣のキャスティングも気になりますが、ジャーニーのバンドパフォーマンスはかなりの技術力が必要となるので、アテレコ無しでバンド演奏シーンが出来るのか、またバンドメンバーのギターヒーローの二-ル・ショーンのスーパーギターテクニックが再現できるのかも楽しみの一つです。
日本でも、CM・映画挿入歌などで聴きなじみのある楽曲を持つジャーニーの映画となれば、どんな出来栄えになるのか完成が楽しみで仕方ありません。
【目次】
- 1.ジャーニー誕生
- 2.ジャーニー全盛期
- 3.スティーブ・ペリー脱退後の低迷期
- 4.新ボーカリスト発掘、シンデレラボーイ、アーネル・ピネダ
- 5.新生ジャーニー始動開始
- 6.映画ジャーニー「アーネル・ピネダ サクセスストーリー」制作
1.ジャーニー誕生
(サンタナバンド離脱~第1期ジャーニー始動)
1972年頃、ジャーニーのリーダーでありリードギターの二-ル・ショーンは哀愁のヨーロッパ(邦題)などで知られるカルロス・サンタナ率いるサンタナバンドのメンバーとして活動、アルバム「キャラバンサライ」発表後、サンタナの音楽性・宗教などの理由で離脱。
1973年頃、当時のサンタナのマネージャーが二-ル・ショーンをサポートし、ジャーニーの前身のバンド「ゴールデンゲート・リズムセクション」の活動が始まった。
バンドの音楽志向は、セッション・ジャズロック的なスタイルでインストゥルメンタルでテクニック重視のプロ集団だったわけです。
1974年、当時のCBSコロンビア(のちのソニーミュージック)と契約を締結し、バンド名をジャーニーに変更した。
ここからジャーニーとしての活動が始まる。
メンバーは、二-ル・ショーン(ギター)・グレッグ・ローリー(キーボード)・ロス・ヴァロリー(ベース)・エインズレ-・ダンバー(ドラム)の4人編成。
インストゥルメンタルバンドとして、ファーストアルバム「宇宙への旅立ち」、セカンドアルバム「未来への招待状」、サードアルバム「果てしなき挑戦」を発表したがセールスには結びつかず、1977年6月バンド補強の為に1代目ボーカルとしてロバート・フライシュマンが加入。
しかし、ニューアルバム制作・ツアーにも参加したが約3ヶ月で1代目ボーカリストは解雇されてしまう。
その後、2代目ボーカルとして迎えられたのがスティーブ・ペリーである。
このスティーブ・ペリー加入により、ジャーニーの将来が劇的に変わる事になるのです。
ジャーニーと言えばスティーブ・ペリーの声無しでは語れないスーパーバンドへの快進撃が始まるのです。
2.ジャーニー全盛期
(二代目専任ボーカル、スティーブ・ペリー加入)
スティーブ・ペリー加入後、4作目のアルバム「インフィニティ」では、プログレッシブロックスタイルを維持しながら、伸びのあるボーカルパートを組み合わせた躍動感ある楽曲がジャーニーの特徴となり、その後のバンドの方向性を明確にする事が出来たのです。
このアルバムは全米チャート21位になり、初のシングルヒット曲「ホイール・インザ・スカイ」・プラチナディスクも獲得しました。
少しずつ、ポップ要素が濃くなってきた音楽性に疑問を持ち始めたドラムのダンバーが脱退した後に加入したスティーブ・スミスのドラムは、バンドの音楽性に合致したものになり、よりバンドの質を高める結果となりました。
1979年作のアルバム「エヴォリューション」は全米チャート20位、1980年作のアルバム「ディパーチャ-」は8位まで上りつめ、同時にシングルヒット「お気に召すまま」なども生まれました。
このあと、結成メンバーであったグレッグ・ローリーが脱退し現在のメンバーでもあるジョナサン・ケインが加入する事になり、ケインのたぐいまれない才能と音楽センスがあいまって、後世に残るジャーニーサウンドを量産していく時代に入っていったのです。
ヒット作となるアルバムが量産されたのがこの時期で、バンド構成はショーン(ギター)・ペリー(ボーカル)・ヴァロリー(ベース)・スミス(ドラム)・ケイン(キーボード)の5人体制で固定したのでした。
1981年に発表したアルバム「エスケイプ」は全米チャート第1位に輝き、この中には有名曲の「オープ・アームズ」も収録されている。この曲を書き起こしたのはジョナサン・ケインである。
日本では映画「海猿」の挿入歌でもクローズアップされた曲です。
Journey - Open Arms (Live In Tokyo 1983) HQ
1983年に発表したアルバム「フロンティアーズ」は全米チャート9週連続2位を獲得する快挙も成し遂げている。
何故この時1位になれなかったのか?
マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」が37週連続1位の座に居座っていた時だったからです。
3.スティーブ・ペリー脱退後の低迷期
(ジャーニーの命的存在ボーカリスト不在時期)
この頃、スティーブ・ペリーがソロ活動を開始しソロアルバム制作、USAフォーアメリカにソロアーティストとして参加、ヒット曲として有名なのが「オーシェリー」などがある。
ソロ活動から再びジャーニーに戻りアルバム制作を始めましたが、ベースのヴァロリーとドラムのスミスは参加せず、脱退状態で完成したニューアルバム「Raised On Radio~時を駆けて」のバンドメンバークレジットはショーン・ペリー・ケインの三人のみでした。
このアルバムも全米チャート4位、日本のアルバムチャートでは4週連続1位を獲得している。
そんな状態の中、スティーブ・ペリーが心労を理由にバンド活動も一旦休止状態になってしまう。
前作発表から10年後の1996年にニューアルバム「トライアル・バイ・ファイアー」を発表、全米3位の実績を残した。
その後活動は無く、1998年ライブアルバム「グレイテスト・ヒッツ・ライブ」を発表と同時にスティーブ・ペリーの脱退が正式に発表された。
ジャーニーの核心部分のスティーブ・ペリーの声を失ったバンドは、正式なメンバーとしてボーカルを迎えずメンバー自らがボーカルを担当したり、サポートメンバーでボーカルを入れたりしましたが、アルバムセールスは振るわない時期が2007年迄続いたのです。
約10年間のジャーニーの迷走した旅だったのではないでしょうか。
4.新ボーカリスト発掘、シンデレラボーイ、アーネル・ピネダ
(ジャーニーの命的ボーカリスト発掘)
当時、ジャーニーの復活を賭けてリーダーの二-ル・ショーンは新しいボーカルを発掘すべく翻弄していました。
2007年秋ごろ、ユーチューブ動画にアップされていたアーネル・ピネダが歌うジャーニーのヒット曲「faithfully」が偶然二-ル・ショーンの目にとまり、スティーブ・ペリーを彷彿とさせる歌唱力に衝撃を受けビネダに連絡を取る。
しかし、ビネダは世界的に有名なジャーニーのリーダー二-ル・ショーンが自分に連絡なんて悪戯としか思えず相手にしなかったと言う。
それでも二-ル・ショーンの熱意と周りの友人たちからの説得も有り、二-ル・ショーン本人だとわかり慌てて連絡を取った経緯があります。
その後、サンフランシスコでオーディションを受け見事合格するのです。
アーネル・ピネダのジャーニー加入までを映像に収めたドキュメンタリー映画が2013年に公開された。
4人兄弟の長男としてフィリピンのマニラで生まれ、極貧の中でどん底生活を送りながら13歳の時に母親を亡くし生活にも行き詰まり兄弟とも離散、一人独立生活を送っていた。
約2年間路上生活の中で僅かな収入で食いつないできたという。
それでも音楽で有名になると言う夢を捨てずに頑張ってきたという。
ヤマハのオーディションでフィリピン1位になり日本にも来日していた経歴も有ります。
いくつかのバンドを結成し解散を繰り返し音楽活動を精力的に行ってきたピネダですが、ある時期恋人との破局・麻薬中毒などから声を潰しかねない深刻な状況まで落ちいった時期があった事も語っています。
しかし、そんな状況を打破し夢を諦めない精神でバンド活動をしてきた結果、二-ル・ショーンの目にとまり大きく人生が変わった人間の一人ではないかと思います。
アーネル・ピネダのサクセスストーリーを題材とした映画が製作されるわけですが、まずはドキュメンタリー映画の「ドント・ストップ・ビリーヴィン」を見てアーネル・ピネダの魅力とジャーニーの結束力の強さを感じてほしいです。
Journey アーネル・ピネダ物語 at Oprah "Don't Stop Believin'"
5.新生ジャーニー始動開始
(再びジャーニーが輝き始める)
2007年12月5日ジャーニーは正式にフィリピン人シンガー、アーネル・ピネダをリードボーカリストに迎えた事を、公式ホームページで発表した。
ニューアルバム「Revelaton」の制作に入り2枚組のうちディスク1を新曲10曲+ボーナストラック、ディスク2をスティーブ・ペリー在籍時代のヒット曲を現メンバーで再録したスペシャルアルバムを完成させた。
発売1週間で世界計10万4000枚を売上、世界的ヒットとなった。
ビルボードtop200では初登場5位、日本でも輸入番のみながら28位を獲得、その後も世界ツアーを敢行、日本でも東京・大阪・名古屋で公演を行なってくれた。
2011年5月24日アーネル・ピネダ加入後スタジオアルバム14作目「エクリプス」を発表、ビルボードtop200では初登場13位を記録した。
こうして、アーネル・ピネダが加入する事によりジャーニーが輝きを取り戻してきている。
6.映画ジャーニー「アーネル・ピネダ サクセスストーリー」制作
(ロック界のおとぎ話のような実話が映画化)
1980年代にスーパーロックバンドとして数多くのヒット曲を生み出してきたジャーニーが、メンバー脱退などの苦境を乗り越えて今また再び輝きを放つ事が出来るのには、何よりも音楽を愛しジャーニーを愛するリーダーの二-ル・ショーンの存在は大きいと思います。
ジャーニーサウンドにおいて、ハイトーンボイスボーカルの存在も確かに必要不可欠ですが、もし二-ル・ショーンのギターフレーズ・ギターリフが抜けたら全く違うサウンドになってしまうはずです。
ジョナサン・ケインのキーボードも、ロス・ヴァロリーのベース、スティーブ・スミスのドラムもジャーニーサウンドには必要な要素です。
こんな素晴らしいスーパーロックバンドに加入出来たアーネル・ピネダは本当にシンデレラボーイだと思います。
彼の夢を諦めない精神は正に「Don't Stop Believin'」だと思います。
ロック界のおとぎ話が製作開始になったわけですが、間違いなく泣ける映画になるのは確かだと思うのですが、冒頭でも書きましたがジャーニーのサウンドをどこまで再現できるか、楽器演奏の技術的な部分をクリア出来たらとてつもない映画が完成するのではないかと期待します。
完成時期は未定ですが、今後の映画の中で一番と言っていいほどの期待作です。
おわり